はじめに
新興SNS「TEGAKI」を巡る騒動が、SNS上で大きな波紋を広げている。
「AIイラストは禁止なのに、運営は翻訳や開発にAIを使うのか」という、いわゆる「ダブルスタンダード(二重基準)」への批判だ。
ネット上では感情的な言葉が飛び交っているが、この問題の本質はどこにあるのか。
この記事では、SNS上の多様な意見を整理し、運営の意図とユーザーの反発、そして技術的な矛盾点について深く掘り下げていく。
ネットを騒がせた「ダブスタ」批判の正体
今回の炎上の発端は、運営側が「AIイラストは著作権を侵害しているが、翻訳は誰の権利も侵害していない」といった趣旨の発言をしたことにある。
これに対し、SNS上では即座に「翻訳AIだって無断学習ではないのか」というツッコミが殺到した。
運営のスタンスは「場所の切り分け」か、それとも「思想」か
ネット上の冷静な分析層からは、「あくまで手描きイラスト限定というプラットフォームの価値を守るためのルール設定」であるという見方が出ている。
「手描きのみを楽しみたい」という需要に応えるためのゾーニングであり、サイトを作るための「道具(翻訳やコード生成)」としてAIを使うこととはレイヤーが異なる、という解釈だ。
しかし、この解釈がSNS全体に浸透することはなかった。
理由は、運営が「技術的な住み分け」の説明を超えて、「善悪の判断」に踏み込んでしまったからだ。
「言葉のチョイス」が招いた不信感
SNS上では、運営の「翻訳はクリーン」という極端な言い回しが批判の的となっている。
- 「反AIを掲げてユーザーを集めておきながら、自分たちは都合よくAIの恩恵を受けている」
- 「画像生成AIだけを悪者にする、ビジネス上のポジショントークではないか」
こうした声が、運営への不信感を加速させた形だ。
画像生成AIと文章生成AI:SNSが突きつける「一貫性」の問い
今回の騒動で、SNSユーザーが最も敏感に反応したのは「学習データの扱い」に関する一貫性だ。
どちらも「無断学習」という共通点
画像生成AIも文章・翻訳AIも、インターネット上の膨大なデータを学習に利用している。
この点において、両者に本質的な差はない。
SNS上の批判層はここを鋭く突いている。
「絵の無断学習が権利侵害だと言うなら、文章の無断学習で作られた翻訳AIを使うのもアウトではないか」
このロジックは、技術的な整合性を求める層にとって非常に強力な武器となった。
「絵だけを特別視する」ことへの違和感
また、SNS上では「クリエイティブの特権意識」に対する冷ややかな視線も存在する。
文章、コード、翻訳といった分野もまた、人間の知財の結晶だ。
それらをAIで効率化するのは良しとしながら、イラストだけを聖域化する姿勢は、他分野のクリエイターやエンジニアから見れば「ダブスタ」と映らざるを得ない。
住み分けか、排除か:コミュニティが求める着地点
SNS上での議論を俯瞰すると、今回の炎上は「伝え方」の失敗という側面が強い。
もし運営が「AIイラストの是非は問わないが、当サイトは手描きのプロセスを尊重する場にしたい」という住み分け(ゾーニング)の姿勢を徹底していれば、これほどの反発は起きなかっただろう。
批判の声が示唆する「真の課題」
現在のSNSの反応をまとめると、ユーザーは以下の矛盾に憤っている。
- 論理の不整合
→特定のAIだけを「悪」と断じる一方で、他分野のAIを利用する矛盾。 - ビジネスの不透明性
→反AI感情を利用したマーケティングに見える手法。 - 権利に対する不勉強
→翻訳やコード生成における学習データの扱いに無頓着な発言。
結果として、TEGAKIを支持しようとした層でさえも、運営の極端な物言いに「同意することへのリスク」を感じ始めている。
これは、純粋に手描き文化を守りたいユーザーにとっても、非常に使いにくい状況を生み出してしまった。
結論:求められるのは「誠実なゾーニング」
SNS上の声は、必ずしもAIそのものを否定しているわけではない。
多くの人が求めているのは、「自分の好みに合った場所」であり、そこにある「一貫性のあるルール」だ。
運営側が「手描き専用」というプラットフォームの純度を保ちたいのであれば、他者の技術を貶める言葉を使う必要はなかったはずだ。
AIを「道具」として割り切るのか、「思想」として排除するのか。
その境界線が曖昧なまま、ビジネスとしての利便性だけを優先した姿勢が、今回の騒動の根底にある。
今後、こうした「特化型SNS」が生き残るためには、特定の技術を攻撃するのではなく、自らのプラットフォームが提供する「体験」の価値を、矛盾のない言葉で語ることが不可欠だ。

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