はじめに
AIがあらゆる表現を“それっぽく”再現できる時代が到来している。
画像、音楽、文章──求めれば即座に生成される状況において、もはや「自分で何かを作る意味とは?」という問いが浮かぶのも当然だ。
それでもなお、なぜ人は創作を続けるのか。なぜAIに任せず、自らの手で「表現」を選ぶのか。
本記事では、筆者自身の体験や動機をもとに、現代における自己表現と創作のモチベーションについて考えてみたい。
なぜ今、あえて「作る」のか?
AIが進化した現代では、ちょっとしたプロンプトを入力すれば、魅力的な作品が自動生成される。
しかも、それは一見するとプロの仕事にも引けを取らない。
では、人間がわざわざ手を動かして作る意味はどこにあるのか?
それはきっと、「なぜ自分はこれを作りたいのか?」という問いに自分で答えられることが、かけがえのない価値になっているからだ。
「作る理由」を言葉にできること。それは作品に深みと文脈を与える。
作品そのもの以上に、その背後にある“語り”が、創作をする人の魅力につながっていく。
承認欲求ではなく「審美眼」の表現として
筆者もいくつか創作したいことがある。ただし、その原動力は「誰かに褒められたい」からではない。
正直なところ、SNSに日々思ったことを呟くだけで、ある程度の承認欲求は満たされている。
だからこそ創作においては、「自分の審美眼をどう表現するか」がモチベーションになっている。
つまり、自分が「これは良い」と思えるものを、自分の手で形にしたい。
評価を求めるのではなく、自分の感性に正直に向き合い、それを可視化する手段として創作を選んでいる。
AI時代に求められる“創作の質”とは?
AI生成物は、精度が高くなってきた一方で「作り手の意図」や「選び方の美学」が希薄になりがちだ。
逆に、人の手による創作には、たとえ粗さがあっても「その人らしさ」が宿る。
「この色をなぜ選んだのか?」
「なぜこの言葉を使ったのか?」
そうした選択の積み重ねが、人間の創作の“味”になっていく。
だからこそ、AIが台頭する今こそ、「なぜ自分はこれを作るのか?」という問いを自らに課し続けることが、創作の質を高める第一歩になる。
まとめ
創作は、もはや技術や効率の話ではなく、「自分の美意識をどう社会に投げかけるか」という対話の行為に近い。
AIに任せれば済むことを、あえて自分で手間をかけて作る。その選択は、表現の根源を問い直す姿勢そのものだ。
もし、これから創作に取り組むなら、「なぜこれを作りたいのか?」を言語化してみよう。
それは、あなた自身の創作に唯一無二の輪郭を与えてくれるはずだ。
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